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広島地方裁判所 昭和42年(行ウ)2号 判決

原告 日本民間放送労働組合連合会 中国放送労働組合

右代表者執行委員長 松尾武久

右訴訟代理人弁護士 阿左美信義

同 相良勝美

被告 広島県地方労働委員会

右代表者会長 勝部良吉

被告指定代理人 歌田好彦

〈ほか二名〉

被告補助参加人 株式会社中国放送

右代表者代表取締役 梁藤鞆一

右参加人訴訟代理人弁護士 岩島肇

同 藤堂真二

主文

本件訴のうち、被告が広労委昭和三九年(不)第一八号不当労働行為救済申立事件につき昭和四一年一一月一日付でなした命令の取消を求める部分を却下する。

被告が、広労委昭和三九年(不)第九号不当労働行為救済申立事件につき昭和四一年一一月一日付でなした命令を取消す。

訴訟費用のうち、補助参加によって生じた分は補助参加人の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一  本件訴の適否

1  被告委員会は、不当労働行為救済の申立を棄却した命令は不作為にすぎず、違法な処分とは言えないから、行政処分取消訴訟の対象とはならないと主張する。

しかしながら一般に労働委員会は、不当労働行為救済の申立があったときはこれを審査のうえ、いやしくも不当労働行為の存することが認定されるならば常に必ず何らかの救済を与えなければならないのであって、何らの救済もなさないとすることは許されず、また、棄却命令は、当該救済申立に対する救済命令の発付を終局的に拒否し、これによって当該救済手続を終結させる効果を生ずる一つの意思表示であって、これを行政庁の処分というに妨げがなく、したがって被告委員会の右主張は理由がない。

2  広労委昭和三九年(不)第一八号不当労働行為救済申立事件について

原告組合は、参加会社の湯川準一に対する昭和三九年六月五日付懲戒休職処分を不当労働行為であるとして被告委員会に対し救済の申立をし、同委員会は、これを広労委昭和三九年(不)第一八号不当労働行為救済申立事件として審査し、昭和四一年一一月一日付で右申立を棄却する命令を発したことは当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫によれば、参加会社は、原告組合とした昭和四九年五月二七日付協定に基づき、湯川準一に対する右昭和三九年六月五日付懲戒休職処分を撤回し、右処分に伴い存した不利益をすべて除去したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうとすれば、仮に参加会社の湯川準一に対する右懲戒休職処分が不当労働行為を構成するものとして被告委員会の棄却命令を取消し、被告委員会において改めて審査することとなったとしても、被告委員会が右懲戒休職処分に関し救済を与える余地はすでになく、被告委員会としては右救済申立に対し再びその必要のないものとして棄却命令を発することとならざるを得ず、結局被告委員会の右棄却命令をいま取消してみてもそれは無意義なものとなるから、右部分に関する限り本件訴はその利益を欠くものとして却下を免れない。

二  広労委昭和三九年(不)第九号不当労働行為救済申立事件について

そこで以下、被告委員会が広労委昭和三九年(不)第九号不当労働行為救済申立事件について為した処分について検討する。

1  被告委員会の命令の存在

参加会社は、当時原告組合の執行委員長であった湯川準一が昭和三九年三月二六日午後一一時四七分頃放送した本件アドリブアナウンスを業務上不当なものであるとして翌二七日に同人に対しアナウンスの無期限差止を命じ、さらに同年五月一〇日付で同人をアナウンス課からラ・テ連絡部付に配転し、その後同年一〇月一日付で企画局調査部調査課への配転を行ったこと及び原告組合は、右湯川に対する二回の配転が不当労働行為であるとして被告委員会に対し救済の申立をしたところ、被告委員会はこれを広労委昭和三九年(不)第九号不当労働行為救済申立事件として審査し、昭和四一年一一月一日付で原告組合の右申立を棄却する旨の命令を発し、同命令は同九日に原告組合に送達されたことは当事者間に争いがない。

2  原告組合の結成と労使関係の経過

≪証拠省略≫を総合すれば次の各事実が認められ、この認定に反する各証拠は採用しない。

(一)  原告組合結成後昭和三五年まで

参加会社はラジオ、テレビ兼営の放送会社で、原告組合は参加会社の従業員によって昭和二八年五月に結成されたこと、昭和三五年頃までの原告組合の活動は、組合の定期大会、執行委員会の開催、組合執行部による参加会社の労働条件に関する交渉などを行うに止まっており、一般の組合員の組合活動に対する関心も低かったこと。

(二)  昭和三六年

原告組合は、春闘において原告組合としては初めてのスト権を立てて一律五、〇〇〇円の賃上げを要求し何度かの団体交渉を重ねた結果四、〇〇〇円で妥結したこと、また年末一時金交渉ではやはりスト権を立てて交渉し、原告組合執行部の提案を参加会社が受入れ、一〇六、〇〇〇円の支給をすることで妥結したこと、なお、右交渉期間中に、参加会社社長から村岡原告組合委員長に対し、参加会社社屋玄関前に掲げた組合旗を降ろすようにとの命令がなされたこと。

(三)  昭和三七年

(1) 春闘においては、原告組合、参加会社双方が歩み寄った結果、かなり大幅な賃上げが実現され、また原告組合が従前から要求していた人事異動については原告組合の同意を要するといういわゆる人事同意協定に代えて人事内示協定が三月一日付で成立したこと、ところで、参加会社は、右春闘期間中に、篠田原告組合副委員長と拡大闘争委員二名を含む二四名の組合員を副部長あるいは副部長待遇とする人事を行い、当時参加会社には副部長、副部長待遇の者は非組合員となる旨の定めがあったので、これによって新たに二四名の非組合員が生じることになったが、右副部長あるいは副部長待遇となった者につきこれによって従前の職責にほとんど差異は生じなかったこと、原告組合は、右昇格人事に際し、(ⅰ)闘争期間中は組合員の資格に変動をきたす人事異動は行わないこと(ⅱ)組合執行委員は、職制上非組合員となるような昇格人事があってもその任期中は執行委員の身分を奪われないこと(ⅲ)闘争期間中に闘争委員の昇格人事があっても、闘争期間中は組合員の資格を失わないことの三点について協約を締結することを要求したが、当時団体交渉における会社側の当事者であった寺田常務は、右各事項について個人的に異議はなく今後十分斟酌するとしながらも、これを協約化することに同意せず、結局労働協約としては成立するに至らなかったこと、なお、右昇格人事の対象となった篠田副委員長は、右春闘終結後非組合員となったこと。

(2) 夏季一時金交渉においては、社長の出張中、役員が揃わないなどを理由として会社の回答が出るのが例年に較べて遅く、また回答は前年を下回る額であったため、原告組合は初めてのストライキを行ったが参加会社は譲らず、結局組合の要求はほとんど実現できずに右交渉は終結したこと。

(3) 原告組合は、年末一時金交渉において長時間のストライキで参加会社に対抗しその要求の実現を図ろうとしたが、参加会社はいわゆる一発回答方式をとり、会社回答を受入れないかぎり団体交渉には応じないとして前年を下回る一〇五、〇〇〇円の回答から譲らず、また参加会社の富田常務が、右交渉期間中に、当時病気の新井委員長の代わりを勤めていた栗原委員長代行を料亭白純荘に招き、会社としてはこのままの状態であれば何億円使っても組合を潰す覚悟をしているので闘争を収めること、但し組合の顔を立てるために本社及び支社の厚生施設の充実を図るように社長に取継ぐ旨の勧告をしたこともあって、結局右交渉は参加会社の主張するところに従って妥結したこと。

(四)  昭和三八年

(1) 湯川準一は、昭和三七年八月に原告組合の執行委員に選ばれ、情宣部長を勤めたが、ついで昭和三八年二月に、前年の年末一時金交渉中の行動に関し代議員が組合員に不信を買って総辞職したことから執行委員全員が総辞職した後を受けて原告組合執行委員長に選出されたこと、湯川は、執行部内での議論の経過を明らかにし、団体交渉の席上での会社側の発言、申入、取引条件などを逐一組合員に知らせるといういわゆるガラス張りの執行部体制を目指し、従前の幹部請負的な交渉のあり方を改めて組合員全員が組合活動に参加する体制の確立、組織強化の方針を打出したこと。

(2) 原告組合は、春闘において、三月一日に一律六、〇〇〇円の賃上げ、厚生施設の整備等を要求して参加会社との交渉に入ったこと、参加会社は右要求に対し零回答をもって答え、原告組合からの新提案がないかぎり団体交渉には応じられず、その新提案とは原告組合の要求をいくらか下げるということではなく会社側の零回答を受入れることであるとし、事実上団体交渉の拒否を行い五月の初め頃まで零回答を繰返したこと、民間放送各社の労働組合の連合体組織である日本民間放送労働組合連合会加盟の約七〇の労働組合は、このころから統一して各使用者との賃金交渉に入るようになっていたところ、民間放送各社は、前年の審議において大幅な賃上げを余儀なくされていたために、組合の賃上要求に対し当初はいずれも零回答をもって答えていたが、四月下旬から五月にかけて零回答に終始していたのは参加会社のみであったこと、しかし参加会社が他の民間放送各社と比較して当時の営業実績が劣っていたとは言えず、またその従業員の賃金が他の各社のそれより高いものとも言えないこと原告組合は会社の零回答に対抗して三〇~四五秒間のステーションブレークの時間帯にストライキを行うこととし、参加会社が五月三日にロックアウトを行うまで一八波のストライキを行ったこと、右ストライキは、右時間帯における収益率が高く、また予告なしに行われるものであるために参加会社に与える打撃は大きいが、この戦術は日本民間放送労働組合連合会加盟の他の組合においても通常用いられていたものであり、九州朝日放送株式会社の労働組合は、同年の春闘期間中に一一〇~一二〇波に及ぶストライキを行っており、また組合のストライキに対抗してロックアウトを行ったのは、民間放送各社のうちで参加会社が最初であったこと、右闘争期間中、参加会社役付職員から、組合活動に熱心な従業員に対しこれを自制するようにとの働き掛けがあり、また身元保証人を通じあるいは直接に組合員に対する脱退工作が行われた結果一六名の脱退者があったこと、また湯川準一は、右闘争期間中の四月下旬頃、参加会社の富田常務から料亭への誘いの電話を三、四度受けたが、いずれもこれを断ったこと、春闘は、第三者の仲裁により七九〇円の賃上げを一律に行う等によって五月一三日に終結したが、参加会社のロックアウトは右妥結に至るまで続いたこと。

(3) その後、夏季一時金交渉においてはスト権を立てずに妥結し、また年末一時金交渉においてはスト権を立てて五、六波のストライキを行った後妥結したところ、富田常務は、この間、参加会社芸能員労働組合との団体交渉の席で、「原告組合の執行部はいかん。」「あゝいうやり方はいかん。」等という発言をし、また増田副委員長は、二、三の役付職員から湯川が委員長であるかぎり組合の要求は通らないと委員長の交代を示唆されたことがあったこと、また参加会社は、右年末一時金交渉に関し(ⅰ)玄関前に赤旗を掲げたこと(ⅱ)玄関前の広場を無断で使用したこと(ⅲ)ストライキ中にストライキ参加者が社屋内から立去らなかったことを理由に、翌年一月二六日に湯川委員長、増田副委員長、松尾書記長を譴責処分に付したが、右処分の理由となった事柄は、労使間の交渉が行われる際には従前からあったことであり、またこれに対し何らかの処分が行われたことはなかったこと。

(五)  昭和三九年

原告組合は、二月三日に一律六、〇〇〇円の賃上げ等を要求し三月一六日にはスト権を立てて交渉に入ったが、参加会社が零回答に終始していたので、同二七日の全国統一行動に歩調を合わせて時限ストライキを行い、結局五月三〇日に妥結するまで合計一一波のストライキを行ったこと。

3  本件アドリブアナウンス

湯川が本件アドリブアナウンスを行い、参加会社がこれを業務上不当なものだとして二回の配転を行ったことは前記のとおり当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫を総合すれば次の各事実が認められ、この認定に反する各証拠は採用しない。

(一)  本件アドリブアナウンスは、天気予報と翌日の番組予告が終わった後、音楽を背景として、「これで今日の番組は全部終わりました。」と「ラジオ中国あすの放送開始は何時何分からです。それではどちらさまもご気嫌よくお休みください。」という決まった文句のつなぎとしてなされたもので、このお休み番組ができたときは、アドリブアナウンスの内容は各担当アナウンサーの良識ある自主性に委ねられ、アナウンサーのアナウンスを監督する立場にある運行課からはその内容に関し特に指示はなく、政治、経済、社会問題等を内容とすることは避ける旨の不文律もなかったが、概ね歳時記的、風物詩的なものがアナウンスされていたこと。

(二)  参加会社は、民放連放送基準が、政治に関しては公平な立場を守り、一党一派に偏らないこと、政治、経済に関する意見はその責任の所在を明らかにすること、産業と経済に混乱を与えるおそれのある問題は慎重に扱うこと、取材編集は公平を守り、内容は事実に基き、客観的正確であること、ニュースの中で意見を取扱うときは事実と意見を厳密に区別し、その出所を明らかにすること、放送内容は、放送時刻に応じ、視聴者の生活状態を考慮して不快な感じを与えないようにすることと定め、さらに参加会社の番組基準は、国民生活に重大な影響を及ぼす社会公共問題については慎重を期し、意見が対立しているときは公平に取扱い、その出所を明らかにすることと定めているところ、湯川の私鉄ストのアドリブは、私鉄ストに対する不満の声が少なくなっているとしてもその原因は一様でなく、大掛りな世論調査を俟たねば正確には判らないのであり、したがってこれは湯川個人の独断的意見を伝えたもので、参加会社の意見と誤解されるおそれが十分あるのにその出所及び責任の所在を明らかにせず、事実と意見を区別しておらず産業、経済に混乱を与えるおそれのある問題に慎重を欠き、意見の別れる問題であるのに一方的角度のみから問題を取上げ、放送時刻、視聴者の生活状態を考慮しておらず、また参加会社には、お休み番組のアドリブに政治、経済その他堅苦しい問題を放送しないという不文律があるのにこれにも反し、ひいては放送法に定める不偏不党の原則にも反するものであって、かかるアナウンスをした湯川はアナウンサーとして不適格であるとして前記二回の配転を行ったこと。

(三)  三月二七日早朝に行われる予定であった私鉄ストは、当時の重要なニュースの一つとして各新聞に連日のように取上げられ、また参加会社の三月二六日の最終ニュースの時間においてもこれが取上げられたこと、また、三月二七日以後の新聞記事やテレビ放送等において私鉄ストによる混乱、ストに対する格別の非難は見うけられなかったこと。

(四)  昭和四〇年春闘における私鉄ストについて、当時のある有力な新聞は、昭和三七年の春闘において私鉄ストが行われた時は、これに対する利用者の非難の声は極めて高いものがあったが、今回(昭和四〇年)は不満の声は余り聞かれず、その原因は、当時数年騰貴を続けた物価高の中でサラリーマンはやってゆけないという共通の感情があるからだろうとの記事を掲載していること。

(五)  湯川がラ・テ連絡部付となって命ぜられた仕事は、時間外勤務手当の伝票の整理、出張届の記帳等、部の庶務関係のものであって、既に右事務のために配置されている従業員の仕事の一部を湯川に対し分割して与えたものであること、しかしながらこれは湯川の処遇を早く決するようにとの原告組合の要求があり、また当時は定期的な人事異動期ではなかったことによる暫定的な配転であって、その後一〇月一日付で配置された企画局調査部調査課での仕事は、視聴率調査、市場調査がその主なもので、これは会社の営業方針を企画するもととなり、放送番組編成上の基礎資料ともなるものであること。

(六)  原告組合と参加会社との間には、前記認定のとおり昭和三七年三月一日付で人事内示協定が成立していたが、参加会社は、定昇査定の額を組合に通知したところ、これが発令前に漏洩してしまい、かくては原告組合に信を措いて人事に関する機密を明かせないとの理由で、昭和三九年四月二四日の団体交渉の席上で右協定を解約する旨通告したこと、しかしながら、右協定には有効期間の定めがないところ、右解約の意思表示は労働組合法一五条三項による解約手続に則ってなされたものではないこと、なお、湯川に対する右二回の配転は、人事内示協定に従い、一週間前に原告組合に通告して行われたものではないこと。

4  そこで右2、3記載の認定事実によって、本件二回の配転が不当労働行為にあたるかどうかについて検討する。

(一)  参加会社は、私鉄ストのアドリブが民放連放送基準並びに参加会社の番組基準及びお休み番組における不文律に違反し、ひいては放送法の定める不偏不党の原則に反するというのである。

本件アドリブアナウンスは、昭和三九年春闘の全国統一行動を明日にひかえた三月二六日夜に行われたもので、私鉄は翌早朝ストライキに入ることになっていたが、私鉄ストが昭和三九年の春闘においてのみ行われていたものでないことは顕著な事実であるし、昭和三七年春闘の私鉄ストに対する利用者の不満が極めて高かったのに比較して、昭和三九年三月二七日以後の新聞記事やテレビ放送等において私鉄ストによる混乱、ストに対する格別の非難が見受けられず、また、昭和四〇年春闘の私鉄ストに対しては余り非難の声があがらず、これは当時数年間騰貴を続けた高物価の中で暮らしにくいというサラリーマンに共通な感情があるからだろうという新聞その他の論調もあることからすれば、翌四〇年当時と多少の差異はあったにしても、本件アドリブアナウンスがなされた頃にも私鉄ストに対し同じような状況があったことは容易に推察しうるところである。そして不満の声が少くなった原因は一様でなく、大掛りな世論調査を俟たねば正確には判らないのはもとよりであり、また事実と意見とは区別すべく、意見についてはその出所を明らかにし、見解の別れるものについては、種種の角度から取上げるべきものとされてはいる。しかし、事実と意見とをその字義どうりにどこまで厳密に区別しうるものかは甚だ疑問であるのみならず、これを区別すべく、意見についてはその出所を明らかにし、見解の分かれるものについては種々の角度から取上げるべきであるとするのは、事実を歪曲することなく真実を国民に伝達すべきものとするいわゆる客観報道主義からの要請によるものと解せられ、そうするときは私鉄ストのアドリブがその重要な原因の一つを伝えているのは事実であるし、その用語法からすれば右が唯一無二のものであると断定しているわけのものでもなく、したがってまた、本件アドリブアナウンスが行われた時間帯、番組内容、本件アドリブアナウンスには歳時記的な内容をも含んでいること等からすれば、これが会社の意見を表明したものとは視聴者には受取られないであろうし、仮にそうでなかったとしても、右に述べたとおりであって、格別不都合なものとも考えられない。

また右各基準によれば産業、経済に混乱を与えるおそれのある問題には慎重であることが要求されているが、これはある事柄を放送すること自体によって産業、経済に混乱を与えるおそれがある場合について要請されているものと解せられる。私鉄ストそのものは産業、経済に混乱を与えるおそれのある事柄だとしても、これについては当時国民の重大関心事として当時のテレビのニュース等においても既に取上げられているのであって、本件アドリブアナウンスによって産業、経済に混乱の生ずるおそれがある筈はなく私鉄ストの問題を取上げたからと言って直ちに慎重を欠いたものとは言えない。さらに深夜のことではあっても国民の日常生活に密接に関係する私鉄ストに言及したからと言って、これによって視聴者に悪影響を及ぼすとは考えられない。

また、放送法が不偏不党であることを放送にあたっての一つの原則としているのは参加会社の主張するとおりであるが、元来すべての社会的事実は何らかの政治的かかわりを持っているものであり、本件アドリブアナウンスは、私鉄ストに対する当時の一般的な受止め方を断定することなく、他の見解の成立する可能性を認めながら述べていることは前示のとおりであるうえ、右番組自体がアナウンサーの自主的な良識に基づく個性的なアナウンスを期待していたといえなくもないのであって、そうするときは本件アドリブアナウンスを不偏不党の原則に反するものとして非難するには当たらない。

その他放送法、放送の各基準等に照らして、本件アドリブアナウンスに特に非難されるべき点はなく、またお休み番組におけるアドリブアナウンスにつき参加会社のいう不文律が存しないことは前記認定のとおりである。

そうすると、たとえ本件アドリブアナウンスに多少のゆきすぎがあるとしても、参加会社が右アナウンスの一事から直ちに湯川がアナウンサーとしての適格を欠くと判断したとすれば、軽卒というほかなく、他に何らかの意図があると疑われてもしかたがない。

(二)  参加会社は、昭和三七年春闘の頃までは原告組合と概ね協議的関係にあったところ、昭和三七年中に、これ自体は必ずしも不当なものとは言えないが、大量の昇格人事を行うことにより二四名の組合員を非組合員化して原告組合の活動に対処する姿勢を見せはじめ、同年の年末一時金交渉においては、幾度かの交渉を重ねた結果妥結に至るという従来の方式を捨てていわゆる一発回答方式をとり、会社回答を受入れないかぎり団体交渉には応じないという強い姿勢をもって原告組合に対し、さらには富田常務は、右年末における闘争を収拾しないならば組合を潰す覚悟があるとまで明言するなど、参加会社はむしろしだいに反組合的態度をとっていたことが認められる。

そして湯川執行部成立後、昭和三八年の春闘においては、仮に諸種の社会的、経済的諸条件はあったにしても、原告組合の要求に対し零回答をもって答え、団体交渉に応じようとせず、またストライキに対しては他の民間放送各社に先駆けてロックアウトで対抗し、参加会社役付職員から組合員に対し、盛んに組合の脱退工作が行われ、さらに富田常務は芸能員労働組合との団体交渉の席上で湯川執行部を公然と非難し、また同年の年末一時金交渉に関係して玄関前に赤旗を掲げた等三つの理由を挙げて組合三役に対する初めての懲戒処分を行う(参加会社が、組合活動によって社屋に損害ないし危険が生じ、業務に支障を生ずる等のおそれがある場合は施設の管理権を発動しうることはもとよりであるが、正当な組合活動であるかぎりその発動は可成抑制されるべく、そして右懲戒処分の原因とされた赤旗を掲げる等のことは従来から黙認されこれに対する処分は何らなされなかったのであり、また本件全証拠によるも管理権を発動すべき事情は認められない。)など、参加会社の反組合的姿勢が強まっていったことが窺える。

(三)  湯川は、アナウンサーとして参加会社に入社し、爾来本件アナウンスの差止めを受けるまでアナウンサーとして勤務していた。従って、湯川を右職種と異る職種に就かせる場合には、本来その同意を要するものというべきところ、組合の要求に応えるとして暫定的になされたラ・テ連絡部付への配転はもとより、最終的になされた企画局調査部調査課への配転は、湯川の同意がないうえ、人事内示協定に違反して強行(参加会社は、人事内示協定を破棄する旨昭和三九年四月二四日に原告組合に通告しているのであるが、これは労働組合法一五条の手続を踏んでいないので有効な解約とは言い難いのみならず、仮に右協定の破棄理由となった事柄につき原告組合に落度があったとしても、これを是正すべき努力が労使双方においてまずなされるべきであって、一方的に破棄する旨通告するが如きは、ここにも参加会社の反組合的姿勢が看取しうる。)されたもので、参加会社の業務上の必要性に欠け、合理性がないことが認められる。

(四)  そうとすれば、参加会社の湯川に対する本件二回の配転は、主として、参加会社が原告組合の執行委員長としてその中心的存在であった湯川の組合活動を嫌悪してした不利益な処分であると同時に原告組合の活動を牽制し、組織の弱体化を意図してなされたものであり、不当労働行為に当たると言わざるを得ず、被告委員会が右と異なる判断に立って原告組合の救済申立を棄却する旨の命令を発したことは違法であって取消を免れない。

三  以上の次第で、原告の本件請求のうち、被告が広労委昭和三九年(不)第一八号不当労働行為救済申立事件に関し発した命令の取消を求める部分は訴の利益を欠くものとして却下し、その余の部分は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条、九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 五十部一夫 裁判官 若林昌子 上原茂行)

〈以下省略〉

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